「健康」のパラダイムシフト ー目的から手段の時代にー
博士研究員 土橋 祥平

2020.08.03

我が国における積極的な健康政策は、1978年の第1次国民健康づくり対策に始まり、現在は第 4 次国民健康づくり運動「健康日本 21 (第 2 次)」として進められています。その中では 1 次予防、すなわち生活習慣を改善して健康を増進し、生活習慣病等を予防することに努めることが重点に置かれています。スポーツ健康医科学分野においても、「健康づくりのための身体活動基準2013 (アクティブガイド)」が策定され、歩数や運動習慣者の割合の増加を推進しています。しかしながら、2018年に発表された健康日本21 (第 2 次) の中間報告によると、メタボリックシンドロームの該当者・予備群の数は目標値まで減少するどころか、策定時よりも増大しており、健康づくり活動に主体的に関わっている国民の割合も27.8% 程度に留まっています。

2019 年にスポーツ庁が行ったスポーツの実施状況等に関する世論調査においても、週3回以上の運動実施者の割合は同様の割合 (27.0%) を示し、積極的に健康に取り組んでいる人の割合は依然として少ないと考えられます。一方、運動実施を「大切」「まあ大切」と回答する人の割合は全体の71.7% を占めており、運動の重要性を理解しながらも、実際に行動に移している人の割合が少ないのが現状であることが窺えます。

では何故運動実施の重要性を認識しながら、実際の実施率は低いのでしょうか?スポーツ庁の同様の調査では、「運動・スポーツの実施頻度が減った,または増やせない理由」に対する回答について、第 1 位の「仕事や家事が忙しいから」に続いて「面倒くさいから」が第 2 位にランクインしていることを報告しています。運動は心身にポジティブな影響をもたらす一方、時間を使い、程度によっては一時的な疲労を伴う活動でもあります。そのため、現在健康上の何らかの問題を抱えておらず運動療法等の実施の必要性がない人が、わざわざ面倒くさい活動のために、忙しい毎日の中から運動するための時間を確保するのはなかなか実現されにくいものと思われます。しかしながら、運動不足は、静かにそして確実に、肥満、糖尿病、循環器疾患、認知症、そして運動器疾患等の発症リスクを高めていっているのです。身体には良いと頭ではわかっていても実施できない、あるいは身体には悪いとわかっていてもそれを選択してしまう、そんな「不合理性」を持っているのが人間です。健康科学に見識のある我々研究者でさえ、時折運動するのを躊躇したり、ついついお酒を飲みすぎてしまうことはあります。そのため、その人間の不合理性を理解した上で、現代人に沿った健康政策、運動・スポーツの普及戦略を構築していく必要があると思われます。

そこで私は、将来のための予防という観点から「今をより良く生きる手段」としてのスポーツ健康医科学へ視点を転換する必要があるのではないかと考えています。「痩せてキレイに、かっこよく見られたい」「効率よく仕事がしたい」「明日に疲れを残したくない」「心地よい毎日を送りたい」など、このような「いま目の前に生じている問題を解決する手段」として、スポーツ健康医科学的アプローチを講じるという考え方です。これは一見将来的な健康を蔑ろにしているような見方もできますが、この「今をより良く生きる」ための手段を日々更新し続けると、その結果として長期的な健康、すなわち従来で言うところの「予防」としての側面が発揮されるのではないかと予想しています。

実際に、現在経済産業省では「健康経営」を推進し,従業員等への健康投資を行うことで、従業員の活力向上や生産性向上等の組織の活性化をもたらし、結果的に業績向上や株価向上につなげようという試みが実践されています。まさしく企業のパフォーマンスを上げるための手段として、健康が見直され始めていると思われます。したがって、スポーツ健康医科学的方法論を先の読めない未来の健康のためではなく、今の自己実現のためのツールとして活用してもらうことができれば、生活の質 (Quality of Life, QOL) を高めつつ、健康寿命の延伸にもつながるのではないかと考えています。スポーツ健康医科学領域の研究者がこれまで、そしてこれから発信されるであろう様々なエビデンスを統合し、今をより良く生きるための方法論として人々に伝えていくミッションが我々研究者には今後さらに求められてくるのではないでしょうか。

 

厚生労働省 厚生科学審議会 (健康日本21(第二次)推進専門委員会)
https://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/shingi-kousei_208248.html
スポーツ庁 令和元年度「スポーツの実施状況等に関する世論調査」について:
https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/houdou/jsa_00030.html
経済産業省 健康経営の推進:
https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/healthcare/kenko_keiei.html